本の虫 ディディエ捕獲
たまたま道中で立ち寄った村に、貸本屋があった。
村の規模にしては珍しく、結構な種類の専門書が揃っている本格的な古書店だったようで、そこをディディエが大層気に入ってしまった。
普通の一軒家ていどの部屋に、入口以外は天井までがすべて本で埋まった棚で囲まれているような場所だ。棚というよりもはや壁で、真ん中に吊るされたランプの明かりだけが唯一の光源のようだった。(その状態すら、本の保存からすると完璧だとディディエは言った)
ディディエの立ち読みは長い。
そもそも立っていない。本を一冊手に取って、初めは立って読んでいるが、段々と姿勢が前かがみになっていき、そのままあっという間に座り込む。あまりに自然で、かつゆっくりと滑らかに座るので、気づくのがいつも遅れる。まるで元のあるべき状態に戻ったかのような自然さなのだ。ディディエにとって、本を読むことよりは、立って歩いていることのほうがイレギュラーなのかもしれない。
そうなるのは分かっていたのに、迂闊だった。本屋に立ち寄り、「へえ」とザールが本棚を見渡して、ふと視線を仲間に戻すと、既にディディエは胡坐をかいて本を覗き込み、書物の世界に没頭してしまっている状態だった。
「おい」
軽く声をかけるが、その音はもうディディエの深くに響かない。「うん」と生返事がかえってくるだけだ。
「うんじゃねえよ、聞いてないだろ」
「うん」
「あーもう。おい、ゼパル」
ちゃんとディディエを見張っていなかったもう一人の仲間を責めるように、ザールが後方を振り返ると、珍しく本を手に取っていたゼパルが「え」と顔を上げた。
「ディディエが」
「あー」
ザールが親指でディディエをさすと、ゼパルは今日の午後の予定が全部変更になったことを悟って浅く笑った。
「笑いごとじゃねえよ、どうすんの」
「どうって?」
「いや、飯とかさ」
動かないディディエを眺めながら話す二人の横を、老いた店主がよたよたと通り過ぎて、ディディエの横にクッションとコーヒーを置いた。ディディエは顔を上げ(いつもならどれほど声をかけても上げすらしない顔だ。ザールは驚いた)、店主の顔をちらりと見た。店主もディディエの顔をみて、そしてディディエはコクリと頷き、また本の世界へ戻ってしまった。
「え? なに? 何がおこなわれた、今?」
「ありがとうございます」
ゼパルが会釈をすると、店主はこちらに軽く手をあげる。その態度はまるで「かまわんよ」と言っているかのようだった。
「いや、許可しないで? 金払ってないよ、あいつ」
店主は無言でザールのほうへも視線を寄越す。その深いまなざしはまるで「そういうことじゃない。分かるやつは読めばいい」とでも言っているかのようだ。
「喋って?」
「でも確かに、飯どうしよう。ディーに買ってきてあげようか」
「至れり尽くせりかよ。どうなってんだ、この世はディディエに甘すぎる」
「だって、あれはてこでも動かない時のディーだし…。俺が担いで帰るってのもひとつの手だけど」
「いや、帰るって言うと、持って帰る本を両手に山ほど抱えだすから、持ち上げられなくなる」
「あー……」
そういえば、以前はそうだった。ゼパルは頭の中でディディエを持って帰る方法を色々巡らせる。
1.大きな布を用意して、ディディエと本を乗せ包む。
2.それを自分が肩に担いで持ち上げる。
………
1.本棚の上にディディエを乗せる。
2.それを自分が持ち上げて運ぶ。
「…………むりか」
「だよなぁ、無理なんだよ」
ザールが頷く。
「むしろ、飯でつるのが正解かもしれない。ディディエの腹が減ってきたころに、入口にシチューを置いておく……とか」
ゼパルの頭の中でさらに色々想像を巡らせてから、頷いた。
「うん、それでいこう。じゃあ、俺、網と竹籠用意する」
「???? お前、話聞いてた??」
後ろから「あるよ」と店主の声がかかった。
「助かります」
「どういうこと?? 誰か俺にも分かるように説明して?」
その後、見事、ゼパルの仕掛けたシチューの罠に捕獲されたディディエが、本を読みながらも宿屋に持ち帰られた。
2022.06.11