大丈夫じゃないし、分かってもない
捕獲したディディエの世話は、いつも以上に困難を極めた。
ディディエの入った竹籠を、ザールとゼパルが二人で担いで宿まで持ち帰ったまでは良かったが、その後のディディエは置物みたいにじっとして、部屋の隅で竹籠に入った状態で本を読んだまま動かない。
仕方がないので、ゼパルがテーブルに夕飯のシチューとパン(ディディエを釣った餌)をセットしてから、ディディエを椅子まで持ち上げて運んだ。少し様子を見ていると、やはり匂いに釣られたディディエは、それでも本から視線をそらさず、目の前に置かれた物だけを器用に口元まで上下させる運動のみで食事を行った。シチューがなくなっても、しばらくは空の皿にスプーンを上下させていたので、見かねたザールが皿を下げ、代わりにパンを置いた。ディディエは終始、そんな調子だった。
食事も終わり、辺りが段々暗くなって、ザールがランプを必要とするほど夜も更けると、突然、ディディエは座ったままコロンと真横に転がった。
「わ、燃料切れだ」
風呂上りのザールが髪の毛を拭きながら、床に転がったディディエをのぞき込む。彼の瞼は閉じられていて、その下の小さい口からは寝息が聞こえた。
「なんでここまで集中しちゃうんだ、こいつ」
毛布、毛布、と寝具を取ってから彼の元に戻ると、ザールと入れ替わりで風呂に入ろうとしていたはずのゼパルがわざわざ戻ってきて、ザールがかけた毛布ごとディディエを持ち上げベッドまで運んだ。
「いいよ、そこまで。ほっとけよ」
「でも、風邪ひいちゃうかも知れないし」
「お前がだろ~、裸じゃん」
「俺は大丈夫」
下着しか身に着けていないのに、本気でそう思っているのか、ゼパルは至極真っ当な顔でそう言う。『なにが?』とザールはいつも、心の中で疑問に思う。
おそらく、ゼパルが言う「大丈夫」は、『俺は風邪ひかないから大丈夫』ではなく、『俺は風邪をひいても別にいいから大丈夫』という意味だ、という予感がザールにはある。
(それ、なにが大丈夫?)
ディディエが床に散らかした本を片づけだしたゼパルから視線をそらし、ザールは軽く首をひねる。
少なくとも、俺は大丈夫じゃない、とザールはベッドに腰を下ろした。そしてそういう事が、きっとゼパルにはちっとも分かってない。ディディエの代わりにゼパルが風邪をひいたって、なんにも良くはなってない。これをゼパルに、心底分かってもらうには、たぶんかなり時間がかかる。もしかしたら、自分の力量ではかなわないことかもしれないとすらザールには思える。
『お前はディディエと平等だ』『俺はお前に死んでほしくない』『ディディエだけじゃない、お前は誰とだって平等だし、誰とだってイコールじゃない』
ザールが口に出したところで、ゼパルにはピンとこない言葉だろう。
どれもこれも、大げさで、たいそうご立派で、あまりに大きすぎてゼパルの心の網の目をくぐらない。
(今の俺じゃあ、今のこいつに伝えらんない、のか)
ディディエが隣のベッドで、すうすうと寝息を立てている。
自分より口下手なこのエルフにさせたところで、結果はさして違いないだろうと、ザールはなんだか投げやりな気持ちでベッドに寝ころび肘をつく。
「はやく風呂、はいっちまえよー」
お座なりに投げかけた言葉に、なんにも分かってないゼパルが、「分かった」と返事をした。
(だから、なにが?)
でも、逆に自分は、何が分かっているというんだ、とザールは思う。
結局、お互い、なんにも分かっていない。
2022.07.12