誕生日について
必要ないとディディエは言った。今年じゃない、とも。
ザールにはその意味がまったく分からず、「まあまあ」と「いいからいいから」で繋ぎ続けて、とうとう当日を迎えた。
朝に「古書店に、良い本が入ったらしい」というデマの情報を掴ませ、ザールはディディエを連れて町に出た。(前日のカードで負けてこの役になった。グエンとゼパルは、何かが賭かった勝負のとき、カードが異常に強い。金だけは絶対に賭けたくない。)
本屋に向かうときだけ、ディディエの歩く姿は浮足立っている。後ろから見ると何か不自然だから分かる。
くじらの昼寝亭の部屋から一時だけディディエを遠ざけておけばいいだけで、そして、グエンの情報は確かにデマだったはずなのに、古書店には何故か本当に“良い本”が入荷されており、ディディエがそれらを吟味するのに午前の全ての時間を費やした。
ディディエが選りすぐりの三冊を胸に抱き、わずかに上気した頬に相変わらずの平坦な表情で古書店から出た頃には、もう予定より大幅に時間が過ぎていた。
だというのに、二人が部屋に帰ると、「まだ!」と中からゼパルの声がして、入口のドアの鍵は開かなかった。
「どういうことだ」
ディディエがこちらを見上げて状況を尋ねる。どうもなにも、準備がまだできていないのだ。
「めちゃくちゃ時間かかってんじゃない」
「なんの」
「……」
サプライズパーティーだった。でも誕生日の当日にここまであからさまに待ちぼうけをくらわされて、何も思い当たらないのは、さすがに嘘だとザールは思う。
「喜ばせたいのよ、お前を」
「どうやって」
「だからぁ、こう……色々、準備して、ごちそう用意して、なんか、色々だよ」
「なぜ?」
「え? マジで分かってないの? 誕生日じゃん、今日」
「……」
ディディエは難しい顔をした。それは不愉快ではなく、本当に何か難しいことを考えている時の眉の寄り方だった。
「もしかして、生年月日のことを言っているのか」
「なに言ってんの???」
「俺の生まれた日付のことだろう」
「待って? ちょっと一旦、座ろ、そこに」
ザールは自室前の廊下に置かれたいくつかの椅子のうちのひとつをディディエに勧め、その隣に自分も座った。
そもそも先月、ザールは自分の誕生日を祝ってもらったばかりだった。そのことを話してもディディエの眉は寄り続けていた。その前々月にはグエン、その前月にはゼパルの誕生日パーティーもした。
初めはゼパルの会で豪勢な料理を並べてそれぞれのプレゼントを渡すだけだったが、回を重ねるごとに部屋の飾りつけ等が足されどんどん『お誕生日会』のそれに近づいていっている恒例の宴会だった。
そのことをディディエに話しても、ディディエの眉間の皺は一向に広がらず、とても渋い声で「……話は分かった」と呟いただけだった。
根気強いザールの取り調べの結果、驚くことに、ディディエは過去の三回の誕生日会を、まったく意図が分からないまま参加していたことが判明した。ディディエは誕生日を理解しないままゼパルにご馳走を作り、グエンにプレゼントを購入し、ザールの為に部屋の飾りつけをしたらしかった。
正確には、誕生した日付というものがあるということは分かっていたし、それにちなんで祝っているのも分かってはいたが、それはザールたちが勝手に無理やりかこつけて宴会をしているものと思っていたらしい。
「……エルフは、生まれ年を祝う。月や、日は、祝わない」
「なに、生まれ年って?」
「生まれた年だ」
まったく情報が足されていない答えをディディエは真顔でする。
「お前はいつ生まれた」
「俺? 291年……」
「じゃあ、1の年生まれだ」
「あ、そういう」
エルフ社会では、十年に一度、自分の生まれ年が巡ってくる。その年に村の重要な役職に就く。自らの資産や時間をさいて、村の教会や柵の補修をしたり、治療院や書庫の管理をする。年の瀬には宴会を開いて、村人に料理を振舞う。――ということらしかった。
「ぜんぜん祝われてないじゃん」
「毎年やっていたら、資産が尽きる」
聞けば、トトリはディディエと同じ“生まれ年”であるとのことだった。(彼の年齢がいくつなのか、見た目からはザールには見当もつかない。)(ディディエの年齢にも、いまだに納得がいっていない。)
だからあのエルフはディディエに目をかけ、色々と教えてくれるのだという。トトリと文通をしているのは、そういった理由なのか、とザールは思った。
「同じ生まれ年のエルフが、年下のエルフの世話役になる。風習を教えたり、資金の援助をしたりする」
どちらにせよ、大役なようだ。せっかくの誕生年(?)なのに、やらされる仕事ばかりで、損な役回りだ。なんかやりたくないな、それ、とザールが同情すれば、ディディエは平然と「初めての年は、教会の手伝いをやらされた。20の年は、村から逃げた」と言った。
「いや、こっちの風習じゃあ、誕生日は主役になれる日だから。なんもしなくても、めちゃくちゃ豪華なごちそう出てきて、みんなからプレゼント貰えんの。お前もやってくれたじゃん、俺のとき。だからてっきり知ってんのかって思ってた」
そんなこと、いつでもやっていい、とディディエは言う。
「いつだって、ゼパルには好きな物を食わせてやりたい。グエンが新しい装備が欲しいなら買ってやりたい。お前にもそうだ」
ディディエはまっすぐザールを見ていた。そのあけすけな視線とそれと同じぐらい直進してくる想いに、ザールは思いっきり照れてしまい、赤い顔を腕で覆った。
「……資産、尽きるぞ」
じゃあ、今まで碌に祝われたことなかったのか、とザールは気づいたが、そのことについてなんと言えばいいのか分からなくて、結局声をかけられなかった。自分と違う境遇を、不本意に侮辱せずにすむ言葉が分からない。
「入っていいよ!」と、ゼパルの声が部屋の中から響いた。
行くぞ、とザールが声をかけると、ディディエは黙って立ち上がった。
古書店で、ザールが自分の代わりに代金を支払ったとき、ディディエは何も言わなかった。誕生日だと知っていたからではない。彼だって同じことがしたいからだ。あれは、彼の愛情だった。
そのことに、ザールは気づいたのに、ディディエに感謝を伝えるための言葉も、仲間に彼の友愛を知らせるための言葉も、何にも出てこない。無力だ。すごく情けないけれど、仕方ない。今の自分には、力不足だとザールは思う。代わりに、今自分ができる最大のやりかたで、めちゃくちゃに祝ってもてなしてやりたい。
ディディエの初めての誕生会が始まる。
2024.01.13